近現代美術

近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術作品。期間としてはおおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品で、それ以降は現代美術と区別される。写実的な初期印象派から脱しようとした後期印象派や新印象派、またリアリズムから脱しようとした象徴主義が近代美術の源流とされている。 近代美術家たち(モダニスト)は、これまでの美術とは異なる新しい視点、新しい自然素材を用いた斬新なアイデア、新しい芸術機能のあり方を模索した。より具体的には、古代神話や聖書などを基盤とした物語的芸術から抽象的芸術への移行である。 近代美術の運動と観念は、初期から国際性があり、意図的で、方向性と計画性をもっていた。また、過激な宣言文、文書、筋書付きの宣言等を伴っていた。運動はそれぞれに特徴を出すべく、慎重に草案された。芸術家、あるいはしばしば評論家が、運動を船出させる舞台をしつらえ、観念を公式化した。つまり近代美術とは本質的には観念的であった。

ポール・ジャクソン・ポロック(1912年1月28日-1956年8月11日)はアメリカの美術家。抽象表現主義ムーブメントを先導した代表的な人物で、キャンバスを床に置いて、絵具缶から直接絵具を滴らせるドリップ・ペインティングという独自のスタイルを展開。...

アルフレッド・シスレー(1839年10月30日-1899年1月29日)はイギリスの画家。印象派。生涯の大半をフランス過ごしたが、国籍はイギリスである。 彼は首尾一貫して、戸外制作で、おもに風景画を描く印象派として知られている。 1857年から60年のロンドン滞在中に絵画に関心を持ち、パリのシャルル・グレールの画塾でモネ、ルノワール、バジールらと出会い、後に印象派展に参加した。

アルマン・ギヨマン(1841年2月16日-1927年6月26日)はフランスの画家、リトグラフ作家。 パリで生まれ、叔父のランジェリー店で働きながら、夜に毎日ドローイングの授業を受ける。1861年にアカデミー・シュイスで学ぶ以前は、フランス国鉄で働いていた。アカデミー・シュイスでポール・セザンヌやカミーユ・ピサロと出会い生涯の仲となる。 ギヨマンは、セザンヌやピサロのように画家として出世することはできなかったが、ギヨマンの作品が二人へ与えた影響は大きかった。たとえば、セザンヌはギヨマンのセーヌ川のはしけの絵を基盤にした最初のエッチング作品を制作している。

メアリー・スティーブンソン・カサット(1844年5月22日-1926年6月14日)は、アメリカの画家、版画家。 ペンシルヴァニア生まれたが、人生の大半をフランスで過ごし、そこでエドガー・ドガと親しくなり、印象派のメンバーと展示活動を行う。 カサットはよく社会風景やプライベートな女性の生活、特に母子間の親しい絆を強調する表現を行った。 カサットは、1894年にギュスターヴ・ジェフロワに「ベリト・モリゾ、マリー・ブラックモンと並ぶ3大女性印象派画家の1人」と描かれている。

ギュスターブ・カイユボット(1848年8月19日-1894年2月21日)はフランスの画家。印象派。グループ内では、ほかの印象派のメンバーより写実主義的傾向が強い。カイユボットの芸術様式としての写真に対しても関心を持っていた。

ジャン・フレデリック・バジール(1841年12月6日-1870年11月28日)はフランスの画家。印象派。バジールの代表作の多くは、戸外制作で描いた風景画内に主題とする人物を置いた人物画である。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796年7月16日-1875年2月22日)は、フランスの画家、版画家。風景画で知られる。ロマン主義や写実主義の系譜にある画家だが、詩情ゆたかに描き出す手法はのちの印象派の画家たちに影響を与えた。

ベルト・マリー・パウロ・モリゾ(1841年1月14日ー1895年3月2日)はフランスの画家。印象派のメンバー。 マリー・ブラックモンやメアリー・カサットと並ぶ3大女性印象派画家の1人とみなされている。 1864年に、モリゾは政府の支援と芸術アカデミーが審査する年に一度の公募展「サロン・ド・パリ」で、高い評価を挙げて画壇デビュー。その後、1874年まで彼女は6度、サロン・ド・パリで作品を展示。 その後、ポール・セザンヌ、エドガー・ドガ、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーら、サロンから拒否された画家たちが主催する印象派展に参加し、おもに印象派の画家として知られるようになる。

カミーユ・ピサロ(1830年7月10日-1903年11月13日)は、デンマーク植民地時代のセント・トーマス島で生まれたデンマーク系フランス人画家。印象派および新印象派の画家。 1874年から1886年の間に8度開催された印象派展すべてに参加した唯一の画家。ピサロの美術史における重要性とは、前期印象派と後期印象派の両方に貢献したことである。 ピサロは、ギュスターヴ・クールベやジャン=バティスト・カミーユ・コローなど、偉大な先駆者から学ぶ。その後、印象派展に参加しつつ、54歳で新印象派のスタイルを採用し、ジョルジュ・スーラとポール・シニャックらとともに印象派の発展に貢献する。 ピサロは、ジョルジュ・スーラ、ポール・セザンヌ、ヴィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャンら4大後期印象派の父親的立場としても活動。ポール・スザンヌは「彼は私の父のような存在だ。相談できる男で、良君主のようだった」と話している。また、ピサロはポール・ゴーギャンの絵の師匠でもあった。

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