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【Artpedia】ベアトリス・シェード・ハッチ「最も古い女児ヌードモデルの1人」

ベアトリス・シェード・ハッチ / Beatrice Hatch

最も古い女児ヌードモデルの1人


1858年、6歳のころのアリス・リデル。ルイス・キャロル撮影。
1858年、6歳のころのアリス・リデル。ルイス・キャロル撮影。

概要


生年月日 1866年9月24日
死没月日 1947年12月20日
国籍 イギリス
関わりのある芸術家 ルイス・キャロル
配偶者 エドウィン・ハッチ

ベアトリス・シェード・ハッチ(1866年9月24日-1947年12月20日)はイギリス人女性。

 

チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)のミューズモデルとして知られている。彼女はドジソンの小児ヌードモデルとなった数少ない女性の1人で、そのためハッチは現代においてもさまざまな研究の対象となっている。

 

ハッチのヌード写真(ドジソンの写真)は、現代においていまだ多くの芸術家たちに影響を与えている。

略歴


幼少期


ベアトリス・シェワード・ハッチは1866年にエドウィン・ハッチとイブリン・ハッチの間に生まれた。父は神学者で、作家であり、オックスフォードのセント・メアリー・ホール副長だった。のちの教会師の講師になった。

 

ベアトリスにはエセルとエブリンの2人の妹がおり、妹たちもドジソンのモデルとなっている。またアーサー・ハーバート・ハッチという兄がおり、彼はモルバーン大学の学寮長になった。ハッチの一家はエドワード・バーン=ジョーンズやアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン、ウィリアム・モリスといった一流芸術家と交流のあるサークルに入っていた。

 

家族は1867年に北オックスフォードのノアハム・ガーデンズのバーブリー・ロード沿いにゴシック様式の邸宅を建てて生活をしていた。近隣には生物学者のトマス・ヘンリー・ハクスリー一家や著作家家オルダス・ハクスリー一家が住んでいた。

 

ベアトリスはオックスフォードシャーにあるオックスフォード女子高校に進学した。学生時代ベアトリスは演劇部で活動をしていた。

ルイス・キャロルとの関係


ベアトリスと妹たちは一家の知り合いとして紹介された。ドジソンは多くの女児たちと友好な関係を持ち、彼女たちを写真撮影した。ドジソンが友好をもち、撮影した子どもたちは皆、アッパー・ミドルクラスの家庭で、ドジソンはロークラスの子どもたちと交友を持とうとはしなかったという。

 

ベアトリスはドジソンが交友を持った子どもたちの中でも、最も長い間付き合いがあったと言われている。ドジソンは彼女を「Bee」と呼び、5歳の頃に彼女のヌード写真を撮り始めた。ヌード撮影はドジソンの事をよく知っていたハッチ夫人の許可でおこなわれた。

 

現代の研究者たちはドジソンと女児たちの関係であれこれ考えをめぐらしているが、当時、女児のヌード写真をとることは「無垢」や「天使」のような意味合いで、性的な意図はだれも持っていなかった

 

そのため、特にドジソンと軋轢を持つことなく、死ぬまでの数十年にわたってドジソンとハッチ一家は交友を続けていた。

 

ベアトリスはドジソン監督のもと、イギリスの舞台女優エレン・テリーとともにシェイクスピアの演劇『空騒ぎ』に出演している。テリーはレオナートの姪役のベアトリスを演じており、名前は同じだったこともあり、テリーは自分自身の写真に「ベアトリス」とサインを入れて、「ベアトリスからベアトリスへ」と写真を送っている。

現代美術家への影響


ドジソンのベアトリスの写真は当時の現代の写真家たちへ影響を与えている。たとえば、ポリエ二・パパペトルは自分の娘オリンピア・ネルソンをモデルにして、ベアトリスのヌード写真のオマージュ作品を制作している。

 

この作品は2008年7月に『月刊オーストラリア美術』の表紙となり話題にもなった。パパペトルはこの写真作品で人々から「児童ポルノ」と激しい批判を受けた。

 

シドニー警察はギャラリーからほかのパパペトルの写真を一時押収したが、2週間後に返却された。しかし、その後も彼女の作品は批判を浴びている。

Olympia as Lewis Carroll's Beatrice Hatch before White Cliffs 2003
Olympia as Lewis Carroll's Beatrice Hatch before White Cliffs 2003

晩年


父が亡くなるとベアトリスとエセルとエブリンの2人の妹たちは、第5代ソールズベリー侯爵からメセナの受益者となった。