【美術解説】フレデリック・バジール「風景に主題とする人物を置いた風景人物画」

フレデリック・バジール / Frédéric Bazille

風景に主題とする人物を置いた風景人物画


フレデリック・バジール《家族の再会》1868-1869年
フレデリック・バジール《家族の再会》1868-1869年

概要


 

生年月日 1841年12月6日
死没月日 1870年11月28日
国籍 フランス
表現形式 絵画
ムーブメント 印象派
関連人物  クロード・モネ、アルフレッド・シスレー
関連サイト WikiArt(作品)

ジャン・フレデリック・バジール(1841年12月6日-1870年11月28日)はフランスの画家。印象派。バジールの代表作の多くは、戸外制作で描いた風景画内に主題とする人物を置いた人物画である。

 

フレデリック・バジールは、フランスのラングドック=ルシヨン地域圏エロー県モンペリエに住む裕福なプロテスタントの家庭で生まれた。バジールの家族は、バジールが絵画を学ぶことに協力的だったが、医学も学んだ。

 

バジールは1859年に医学を学び始め、1862年にパリへ移る。そこでピエール=オーギュスタ・ルノワールやアルフレッド・シスレーら印象派画家たちと出会ったのをきっかけけに、シャルル・グレールの絵画教室に通い始める。

 

1864年に医学試験に失敗した後、バジールはフルタイムで絵画制作を行うようになる。クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、エドゥアール・マネらと親しくなり、もともと裕福だったバジールは、彼ら印象派の画家の仲間たちにアトリエのスペースや絵の具を分け与えた。

 

バジールは、23歳のときに最も有名な作品《ピンクドレス》を制作している。描かれているモデルはバジールのいとこである。日暮れときの風景と後ろ向きの背中の女性像の組み合わせが印象的である。ベスト作品は1867年から1868年に制作した《家族の再会》であるとされている。

 

バジールは、普仏戦争が勃発した1ヶ月後の1879年8月にズアーブ兵として兵役に就く。同年11月28日にボーヌ=ラ=ロランド戦線に参加し、将官が負傷したためバジールがドイツ軍攻撃の指揮をとるが、失敗。2度銃で負傷して28歳で死去。

《ピンクドレス》
《ピンクドレス》

略歴


■参考文献

Frédéric Bazille - Wikipedia

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