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【美術解説】ジェームズ・アンソール「表現主義やシュルレアリスムに影響を与えたベルギーの画家」

ジェームズ・アンソール / James Ensor

表現主義やシュルレアリスムの先駆的画家


《1889年、ブリュッセルに入場するキリスト》1888年
《1889年、ブリュッセルに入場するキリスト》1888年

概要


 

生年月日 1860年4月13日
死没月日 1949年11月19日
国籍 ベルギー
表現形式 絵画、版画家
ムーブメント 表現主義

ジェームズ・シドニー・エドゥアール・バロン・アンソール(1860年4月13日-1949年11月19日)はベルギーの画家、版画家。

 

生涯、ベルギーのオーステンデに住んでいたが、ベルギーの表現主義やシュルレアリスムの画家に重要な影響を与えている。代表作《1899年、ブリュッセルに入場するキリスト》は、20世紀初頭にあらわれた表現主義の先駆的作品とされている。

 

ベルギーの画家、デザイナー、彫刻家たちのグループ『20人展』の創立メンバーでもある。

ベルギーでユーロ導入以前に発行されていた100フラン紙幣に肖像が使用されていた。

略歴


若齢期


アンソールの父、ジェームズ・フレデリック・アンソールはブリュッセル在住のイギリス人画家で、イギリスやドイツで工学を学んだ。アンソールの母マリア・カテリーナ・ヘーゲマンはベルギー人だった。

 

アンソール自身はアカデミックな教育への関心がなく、15歳で学校をやめて、2人の地元の画家のもとで美術を学びはじめた。1877年から1880年まで、アンソールはブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、そこで同僚となるフェルナン・クノップフと出会う。アンソールは1881年初個展を開催。

 

1880年から1917年まで彼は実家の屋根裏をアトリエとして使っていた。旅行にはほとんど出かけなかった。1880年代にフランスに3度、オランダに2度短期旅行し、1892年に4日間ロンドンへ旅行をしただけだった。

《こぎ手》1883年
《こぎ手》1883年

美術批評家たちから大批判


19世紀の間、彼の作品の多くはスキャンダラス的なものとして、特に《1899年、ブリュッセルに入場するキリスト》は非難の的になった。

 

ベルギーの美術批評家オクターヴ・モースは、アンソールの革新的な作品に対する当時の美術批評家たちの反応をまとめた。

 

「アンソールは美術界のリーダーです。アンソールは脚光を浴びています。アンソールは無秩序とみなされている、ある原則を集中して要約した。要するに、アンソールは偉大な変革を行う危険人物です。彼は結果的に批判を浴びることになり、すべての火縄銃が彼に向けられることになった。彼の頭の上には、真剣な批評家たちの最も方向性のある容器が投げ捨てられた」。

 

アンソールの当時の作品には、自分に対する批判者たちに反抗的な態度を明らかにした作品もある。たとえば、1887年の版画《立小便をする人》は、(美術批評家の声で)「アンソールは狂人だ」と書かれた壁に向かって小便をしている芸術家を描いた作品である。

《立小便をする人》1887年
《立小便をする人》1887年

徐々に評価されるようになる


しかし、彼の作品は展示され続け、徐々に受けられて、賞賛されるようになった。1895年の作品《ランプを持つ少年》はブリュッセルにあるベルギー王立美術館が購入し、ブリュッセルで初個展を開催した。1929年にアルベール1世が男爵の爵位が授与された。作曲家フロール・アルバールの「ジェームズ・アンソール・スイート」の主題となった。1933年にはレジオンドヌール勲章を授与。

 

20世紀初頭になると絵画制作の数は減少し、代わりに音楽演奏に時間をさくようになった。彼は音楽教育を受けていないが、オルガンの才能ある即興演奏者であり、人前でオルガンをひく機会が増えていった。

 

友人のアドバイスに反対し、アンソールは第二次世界大戦時に砲撃の危機にも関わらずオステンドに留まった。年老いた彼はベルギー人の誇りであり、彼の毎日の散歩はオステンドで見慣れた光景だった。1949年11月19日に病気で死去。

1940年代のアンソールと《1899年、ブリュッセルに入場するキリスト》
1940年代のアンソールと《1899年、ブリュッセルに入場するキリスト》