ブログカテゴリ:ダダイズム



芸術運動 · 11日 12月 2018
「ダダ(Dada)」または「ダダイスム(Dadaism)」は、20世紀初頭のヨーロッパの前衛芸術運動。1916年にスイスのチューリッヒにあるキャバレー・ヴォルテールで始まり、その後すぐにベルリンをはじめケルン、ハノヴァーなど世界中に広がった。その表現形式は、視覚美術、文学、詩、宣言、論理、映画、グラフィックデザインなど幅広く含まれる。...

20日 1月 2017
アンドレ・ブルトン(1896年2月19日-1966年9月28日)は、フランスの著述家、詩人。シュルレアリスム創始者であり指導者。オートマティスムによるシュルレアリスム表現を解説した『シュルレアリスム宣言』(1924年刊)が、代表的な著作物。 パリの初期ダダ運動においても重要な役割をはたすが、1921年にトリスタン・ツァラおよびダダと決別する。24年に『シュルレアリスム宣言』を起草して以来、シュルレアリスム運動の理論的支柱となる。 シュルレアリム情報誌『シュルレアリム革命』の編集長となり、シュルレアリムの普及に長くつとめる。その多くの著作はシュルレアリストや多くの芸術関係者から注目を集め、ムーブメントの活気をよびおこし、その後は現代の芸術、文学、美学および倫理に絶大な影響をおよぼした。

近現代美術 · 27日 7月 2015
トリスタン・ツァラ(1896年4月16日-1963年12月25日)は、ルーマニア人、またフランス人の前衛詩人、エッセイスト、パフォーマンス・アーティスト。ほかにジャーナリスト、劇作家、小説家、美術批評家、作曲家、映画監督などの活動もしている。数多くのキャリアにおいて代表的なのはダダイスト。ツァラはスイスのチューリヒで"反芸術"を掲げたダダ・ムーブメントの創設者であり、また中心人物の1人である。 エイドリアン・マニウの影響下、思春期のツァラは象徴主義に興味を持つようになり、アイアン・ビニアや画家のマルセル・ジャンコらとともに象徴主義の美術雑誌『Simbolul』を発行する。第一次世界大戦時にスイスのチューリヒへ移動し、そこでツァラはキャバレー・ヴォルテールやZunfthaus Zur Waagでさまざまなショーを行う。詩を読んだり、アート・マニフェストを掲げた。このマニフェストでは初期ダダイスム的な側面が見られた。 1916年に雑誌『キャバレー・ヴォルテール』を発行し、ダダ活動を開始。この雑誌で初めてダダという言葉が使用されたが、この時は正式にダダのマニフェストは出していない。1917年に雑誌『ダダ』を創刊し、1918年にダダの集会で「ダダ宣言1918」を発表し、正式にダダの本格的な活動が行われるようになった。 「ダダ宣言1918」を発表後、ブルトンの招きに応じて1919年にパリに移動。ツァラはダダの重要メンバーの1人として、雑誌『文学』に編集として参加。のちのシュルレアリスム・ムーブメントを起こす最初のステップとなった。しかしツァラは、アンドレ・ブルトンやフランシス・ピカビアと決裂。またルーマニアのビエラやジャンコらの折衷主義にも反対。ツァラの芸術ビジョンは、彼のダダ演劇「ガスハート」(1921年)や「雲のハンカチ」(1924年)でよく示されている。 しかし、オートマティスムの先駆者でもあるツァラは、最終的にブルトンのシュルレアリムと提携し、オートマティスムの影響のもとツァラはユートピア詩「おおよその男」を書いた。