ブログカテゴリ:近代美術



近現代美術 · 14日 1月 2019
グスタフ・クリムト(1862年7月14日-1918年2月6日)はオーストリアを代表する画家、ウィーン分離派の創設者であり、代表的なメンバー。装飾芸術、絵画、壁画、ドローイング、オブジェなどさまざまなメディアで制作。中心となるモチーフは女性の身体で、率直なエロティシズム表現が特徴である。 滅亡前のオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンの頽廃的な雰囲気を、豊麗な女のイメージによって、もっとも見事に形象化したといわれる。ハプスブルグ家の支配するオーストリア・ハンガリー帝国の首都として独特な爛熟した文化を生み出してきた世紀末のウィーンは、支配的な社会階層が贅沢な饗宴にうつつをぬかし、病的に快楽を追求した時代だった。現在の日本を彷彿させるところがある。

芸術運動 · 13日 1月 2019
ミニマルアートとは、最小限にまで切り詰められた表現である。 幾何学的な抽象美術をぎりぎりまで推し進めて、絵画や彫刻を数学のように規則正しい形態にしていく。一見するとそれは工業製品のように見える

現代美術家 · 20日 10月 2018
マルセル・デュシャン(フランス生まれ:1887年7月28日-1968年10月2日)は、フランス生まれ、晩年にアメリカに帰化した画家、彫刻家、チェスプレイヤー。 デュシャンはダダイスムの情報誌の編集をしたり、《泉》のようなコンセプチュアル・アートを発表して、ダダイスムとは深い関わりがあったものの、活動詳細を調べるとダダ・グループの正式なメンバーではなかったと考えられている。デュシャンはダダイスムが標榜した「反芸術」ではなく「無芸術」だと言っている。 また多くのシュルレアリストとコラボレーション活動をしているためシュルレアリストと扱われることもあるが、ブルトンのシュルレアリスム・グループへの参加招待は断っている。 そうした面から、現在のデュシャンの美術史的な位置付けは、パブロ・ピカソ、アンリ・マティスらと並ぶ、20世紀初頭の造形美術において革新的な発展を促した3大のアーティストの1人と見なされている。

画家 · 01日 9月 2018
オスカー・クロード・モネ(1840年11月14日-1926年12月5日)はフランスの画家。印象派の創設者。 「自然(特に戸外制作での自然風景)に対して自分が認識した感覚を表現する」という基本的な印象派哲学を一貫して実行した実践者。 「印象派」という言葉は、パリ・サロンから独立して1874年に開催された第一回独立展で展示されたモネの作品《日の出、印象》に由来している。 フランスの田舎の記録化しようとするモネの野望のなかで、光の変化と季節の移り変わりを捕えるために、何度も同じシーンを描く方法に行き着く。 1883年からモネはジヴェルニーに移り、そこで家や土地を購入し、モネの作品でよく主題になる睡蓮を中心とした広大な風景画制作を始めた。 1899年にモネは睡蓮を描き始めた。最初は中心に日本の橋を置いた垂直的視点だったが、その後死ぬまでの20年間は、巨大サイズの絵画シリーズとなった。

画家 · 13日 8月 2018
ポール・セザンヌ(1839年1月19日-1906年10月22日)はフランスの画家。後期印象派の画家。 セザンヌは19世紀の印象派から20世紀初頭の前衛運動の架け橋を築いた画家として評価される。特にキュビスムのにおける芸術概念の基礎となった。 セザンヌは複雑な画面を生成するために小さな筆致や平面的な色使いを行う。マティスととピカソはスザンヌについて"近代美術の父"と述べている。

芸術運動 · 09日 8月 2018
ナビ派は1890年代のフランスにおける後期印象派の1グループ。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」という言葉を用いて、自らを新しい象徴的、主観的な芸術の創始者と主張した。ファイン・アートだけでなく、ポスター、舞台芸術、グラフィック・アートなど幅広い領域で活動しているのが特徴である。 ナビ派の様式のルーツはポール・ゴーギャンであり、彼に教えを受けたポール・セリュジェが仲間たちを集めて形成した。当初は近代美術と文学の両方に興味があったグループで、彼らの多くは1880年代後半にパリにあったロドルフ・ジュリアンの美術学校(アカデミー・ジュリアン)の生徒だった。代表的な画家はポール・セリュジェ、モーリス・ドニ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールである。 ナビ派の画家たちはゴーギャンの総合主義を中心として、ポール・セザンヌの古典的な造形性や抽象性、オディロン・ルドンの象徴主義などの内面的表現にも影響を受け、対して自然主義や写実主義を否定していた。。

画家 · 07日 8月 2018
ギュスターブ・モロー(1826年4月6日-1898年4月18日)はフランスの画家。象徴主義の代表的な画家で、聖書や神話に独自の解釈を加える描写を強調して、高く評価された。 写実主義や印象主義が流行していた時代に、モローはほかの作家や画家たちに想像や幻想の世界の表現をアピールした。象徴派のデカダンス小説家ジョリス=カルル・ユイスマンは『さかしま』(1884)のなかで、主人公が偏愛する画家としてモローが登場し、話題になった。

画家 · 06日 8月 2018
カミーユ・ピサロ(1830年7月10日-1903年11月13日)は、デンマーク植民地時代のセント・トーマス島で生まれたデンマーク系フランス人画家。印象派および新印象派の画家。 1874年から1886年の間に8度開催された印象派展すべてに参加した唯一の画家。ピサロの美術史における重要性とは、前期印象派と後期印象派の両方に貢献したことである。 ピサロは、ギュスターヴ・クールベやジャン=バティスト・カミーユ・コローなど、偉大な先駆者から学ぶ。その後、印象派展に参加しつつ、54歳で新印象派のスタイルを採用し、ジョルジュ・スーラとポール・シニャックらとともに印象派の発展に貢献する。 ピサロは、ジョルジュ・スーラ、ポール・セザンヌ、ヴィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャンら4大後期印象派の父親的立場としても活動。ポール・スザンヌは「彼は私の父のような存在だ。相談できる男で、良君主のようだった」と話している。また、ピサロはポール・ゴーギャンの絵の師匠でもあった。

画家 · 06日 8月 2018
アルフレッド・シスレー(1839年10月30日-1899年1月29日)はイギリスの画家。印象派。生涯の大半をフランス過ごしたが、国籍はイギリスである。 彼は首尾一貫して、戸外制作で、おもに風景画を描く印象派として知られている。 1857年から60年のロンドン滞在中に絵画に関心を持ち、パリのシャルル・グレールの画塾でモネ、ルノワール、バジールらと出会い、後に印象派展に参加した。

画家 · 03日 8月 2018
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年2月25日-1919年12月3日)はフランス画家。印象派の発展においてリーダーシップ的な役割を果たしたことで知られる。 美の賛美、特に女性の美を追求した作品で知られており、「ルノワールはルーベンスからヴァトーへの直接的系統に属する最後の伝統絵画の代表者」と評価されている。 初期には新古典主義のアングルや、ロマン主義ドラクロワなどの影響を受け、その後、モネらの印象派のグループに加わる。晩年は女性の美を追求し肖像画で独自の境地を拓いた。日本など、フランス国外でも人気の高い画家である。 映画俳優のピエール・ルノワールや映画監督ジャン・ルノワール、陶芸作家のクロード・ルノワールの父でもある。さらに映画監督クラウド・ルノワールの祖父でもある。

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